語彙力はあなたを救う

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こんにちは!ヨウスケです。

 

 

 

語彙力がつけば、視野が広がり、

不安がなくなる。

 

 

端的に言うと今回のお話は

そんな内容です。

 

 

その理由を哲学を取り入れながら、

最後にモチベーションアップにつながるお話も

できたらいいなと思っています。

 

 

 

正直、かなり抽象的で学術的なお話に近いので、

その点はご了承ください。

 

 

それではレッツラゴー!

 

ドイツ人哲学者ハイデガーの言語観

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僕は単に経験則から

「語彙力がつくと、世界が広がるよ~」

と言っているわけではありません。

 

 

 

この話は哲学者もたびたび取り上げているテーマです。

 

 

 

ドイツ人哲学者、ハイデガーの言語観がそれに近いので、

ちょっと紹介しますね。

 

 

<カテゴリー論>とは存在者の存在の究明であり、<意味論>とは存在との関連における言葉についての形而上学省察です。

『ドゥンス・スコトゥスのカテゴリー論および意味論』より抜粋

 

 なんか何言ってんのかよくわからないですね。。

これをベースに砕いてお話していきますね。

 

 

上の言葉が言おうとしていることはこんなことです。

 

 

 

「人間の言葉には、すでに分節されて秩序化されている事物にラベルを貼り付けるだけのものではなく、
名付けることによって異なるものを一つのカテゴリーにとりあつめ、世界を有意味化する根源的な存在喚起力としてとらえている。」

丸山圭三郎

 有名な日本の言語学者

丸山圭三郎さんのお言葉を

そのままお借りする形になりましたが、こんな感じです。

 

 

 

でも、これでもちょっとわかりづらいですね。

 

 

日本語嫌いになりそう。。笑

 

 

 

もっともっと砕きましょう。

 

 

ではここで動物を例に。

 

 

 

動物には犬とか牛とか猫とか

いろんな種類がいるわけですが。

 

 

 

 

ここで僕たち人間が生まれる前のことを

想像してみて下さい。

 

 

 

人間がいない世界は

言語、言葉がありません。

 

 

 

だから、確かに地球には牛とか犬とか猫は

いると考えられるんですが、名付けられていないので、

動物視点からほかの動物を見るとこんな感じになります。

 

 

 

 

牛→「白と黒の模様がある。大きな体を持っていて、

のろのろと動くもの」

 

 

犬→「尻尾を振って、舌を出しながら吠えてくるもの」

 

 

猫→「普段はおっとりしているが、いざとなると俊敏に動くもの」

 

 

 

動物視点はこんな認識の世界です。

 

 

 

普通にめんどくさいじゃないですか。

 

 

 

犬を見るたびに、

「尻尾を振って、舌を出しながら吠えてくるやつだ!」

みたいに思っていたら、きりがないです。

 

 

 

人間の僕たちでさえ、めんどくさいと思っているので、

動物の場合、もう認識することはあきらめているのでは

ないんじゃないかな。

 

 

 

そこでめんどくさい認識の仕方じゃなく、

僕たちは言葉によって、

犬だったら犬、牛だったら牛、猫だったら猫と

名前を付けて認識します。

 

 

 

そして、

「人間とは違うんだけど、

かといって植物とは違って動く生物」

 

として先にあげた全く違う三匹を

”動物”というカテゴリーに分けて

さらにわかりやすくします。

 

 

 

こういったことから、単に”犬”とか”猫”とか、

名前というラベルを張り付けるだけじゃなく、

特徴を集めてカテゴリーに分け、さらにわかりやすく

分類していく。

 

 

こんな感じのことをハイデガーや丸山先生は

言っていたんだと思ってください。

 

 

 

だから

語彙力が増えれば、頭の整理ができる

わけなんですね。

 

 

 

しかし、これだけではありません。

 

 

 

旧約聖書の言語観は

もう少し僕が考えるものに近かったので、

そちらも紹介しますね。

 

 

名付けるということは、新たな世界が生まれるということ

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「神、光あれと言い給ひければ、光ありき」

『創世記』(第一章、第三節)

 これは、旧約聖書の話ですが、簡単にいえば、

「光という言葉によって初めて光が存在した」

ということです。

 

 

 

つまり、名付ける、堅く言えば命名には、

”それまで存在しなかった対象を

生み出す根源的作用”

”すでに存在している事物や

観念にラベルを貼る二次的な作用”

があるということです。

 

 

二つ目に関しては、まぁ単に

名付ける、もともと世界に存在していたものに名前を

つけること

だと思っていいんですが。

 

 

 

重要なのは一つ目です。

 

 

 

名前を付けるというのは、

存在していなかったものを生み出す

 

 

「そんなことあるわけない!」

と突っ込みたくなるかもしれませんが、

よ~く考えてみてください。

 

 

 

例えば、まだ言葉を知らない子ども。

 

 

 

あの子たちは、毎日毎日、世界のいろんなものを

分ける作業をしていきます。

 

 

 

そしたら

ある子供が最近覚えた言葉は

”人間”と”人形”

だとしましょう。

 

 

 

人間は、

お父さん、お母さんのように温かくて、動くもの。

 

 

 

それに対して、

人形は人間のような形はしているけど、

冷たくて、動かないもの。

 

 

 

そんな子供が電車に乗ったとしましょう。

 

 

 

電車に乗る前にお母さんから、

「これは電車」ということを教えられていてので、

「でんしゃ、でんしゃ」となんでも口に出しながら

椅子や窓を触っています。

 

 

 

するとここでその子供が母親にこう聞くのです。

 

 

 

「ねえねえ、でんしゃって人間?それとも

人形さん?」

 

 

 

ある意味ホラーみたいな

物語かもしれませんが、

子供はいたって健全です。

 

 

この子は人間と人形という言葉、

そしてカテゴリーは覚えましたが、

そのカテゴリーから外れるものをみたら

わからなくなってしまったんです。

 

 

 

だって、電車は、

人間のように動いているけど、

人形のように冷たいから。

 

 

 

哲学者のメルロポンティも

こんなことを言っています。

 

 

「事物の命名は認識のあとになってもたらされるのではなくて、それは認識そのものである」

『知覚の現象学

 

 

人間は言葉を使って、なにか考えたり、記憶したりします。

 

 

 

 

そして、先ほどの子供のように言葉を知ると、

今まで考えてもみなかった世界が見えてきます。

(人間でも人形でもない新たなもの)

 

 

 

 

このように、言葉を知れば、

新たな世界が生まれ、感性が磨かれ、

精神も落ち着きます。

 

 

 

科学者の大発見の例とかもそうです。

 「〇〇教授が、✖✖細胞を発見しました。」

という場合も、

 

 

 

別に発見したわけではなくて、

僕たちが見えるところまで

持ってきてくれたわけですから、

それはもう創ったも同然なんです。

 

 

 

言葉を知るということは

今まで知らなかった世界が目の前に

現れることなんです。

 

語彙力があれば、ストレスもなくなる

 

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ここまで、言葉を知ることで

新たな世界が現れるといった

学術的なお話をしてきました。

 

 

 

普段、当たり前のように使っている言葉を

改めて客観的に見直すと、

なかなか頭使いますよね。

 

 

 

 

はっきりとわからなくとも、

言葉の偉大さには気づけたと思います。

 

 

 

そんな偉大な言葉ですから、

きっと僕たちの悩みも解決してくれると思います。

 

 

 

ここからはかなり持論に近いですが、

まあモチベアップにつながれば幸いです。

 

 

 

先ほど、人間は言葉を使って、

思考したり記憶するといいました。

 

 

 

 

だから、自分が持っている、

知っている言葉によって、

自分の思考の質もかなり変わるわけなんですよ。

 

 

 

近年、電車の中でいきなり暴れです大人が増えています。

精神病にかかる方も日本はとても多いです。

 

 

 

 

もちろん原因はひとつではありません。

 

 

 

正直そうなってしまう方の大半は

暇な人なんだろうなと思っています。

 

 

 

浪人して鬱気味になった経験からいうと、

人間ってある一定期間、暇になると

そのうち正常な判断や行動がとれなくなります。

 

 

 

ここでいう暇というのは

人とコミュニケーションをとる時間もなく、

ただひたすら自分の世界に閉じこもるような状態

のことだと思ってください。

 

 

 

 

そして、人間ってある程度コミュニケーションをとらないと

精神がゆがんでいきます。

 

 

 

どれだけ一人が得意、好きという人もです。

 

 

 

まあ、一人が好きとか言ってる人はたいてい

自分からいかずとも周りに人がいる人だと思うので、

そうやって余裕があるんだと思いますが。。

 

 

 

 

コミュニケーションをとることってとても大事で、

どれだけくだらない話でも、

話を聞いてくれているということから、

自分の存在を認識できるので、安心します。

 

 

 

 

逆に、コミュニケーションをとらないと、

不安で不安で仕方がなくなります。

 

 

 

 

そして自分の存在を自分自身で認めようとするため、

自分の長所を上げまくり、

それに対して「ほかの人たちは俺みたいに〇〇できないんだよな~」

みたいに、他人を心の中で批判し始めます。

 

 

 

だから、いざ外に出ると周りにいる人たちを

軽蔑的な目で見て、

その影響で、他人も自分のことを軽蔑的な目で見ていると

錯覚を起こし、最終的に耐えられなくなり、

変な行動をとり始めます。

 

 

 

結論、公共の場で変な行動をとる人は、

暇で寂しい人なんだということなんですが、

話がそれました。笑

 

 

 

 

そういった人も、

とりあえず言葉の質を上げてほしいなと思っています。

語彙力をつけてほしいと。

 

 

 

言葉は世界を広げ、視野を広げてくれますから、

何事も客観的に見ることができ、

冷静な判断がとれるようになります。

 

 

 

判断だけじゃないですね、精神自体が安定します。

 

 

 

 

何か不安や悩み、特に心の面において壁にぶち当たったら、

まず人と話す、そしてその合間に読書をする。

 

 

 

こうすればもう大丈夫です。

人と話して、心を落ち着かせて、

解決策を本で探るというのもいいですね。

 

 

 

繰り返しになりますが、

言葉を知れば世界が広がり視野が広がり、

心も落ち着いていきます。

 

 

 

そして、いつの間にかストレスもなくなってます。

 

 

 

ぜひ、言葉にたくさん触れてください。

そのために少しでも本を読んでくださいね。

 

それではこのへんで。